2020年6月20日土曜日

「クソデカ感情」について考える 私はこの言葉があまり好きではないが...

クソデカ感情という言葉を知っているだろうか?いや知らなくても知ってる体で話を進めるとしよう、ぶっちゃけ割とそのままの意味だし。
この言葉は比較的最近、恐らくは2019年半ば辺りから流行りだしたネットスラングである。主にツイッターにてカップリング関連の話をする上で使われる。
さて正直な話、私はあまりこの言葉があまり好きではない、何故ならあまりにも便利過ぎるからである。便利っていい事では?そう思うかもしれない、だが少なくとも私は汎用性が高すぎる言葉とはそれに比例して薄くなりやすいと考えている。というかこのブログを書いてる理由のうち一つが、語彙力を高めるためである身からすると、あまりに汎用性の高い言葉は危険な存在だと思っている。
まぁそれはそれとして言葉に限らず何か流行るのには理由がある。単に汎用性が高く語彙力のないオタクの使いたくなるようなわかりやすい語調であるのも確かだが、一番大事な要素は「この言葉を使わないと都合の悪い文脈」が存在することだと思う。

思いつく理由はこの4つだ。



  1. あまりに考え方や感性が特異過ぎて既存の語句で表現することが困難である、または語弊を招く。
  2. 一つ一つの感情はありふれたものであってもあまりにも多くの感情が積み重なり過ぎてまとめざるえない。
  3. 本人も感情に対する答えを得ていなく、メタ視点でも解釈がわかれる。
  4. 感情の答えがネタバレである。

上二つの例を挙げて語っていくとする、なんでこの二つかというと単純に自分で思いついて言語化出来たのがこの二つだけだからである。私もまだまだ未熟だ。

一つ目は遊☆戯☆王より「海馬瀬人」「闇遊戯」に向ける感情だ。
闇遊戯に決闘を挑み勝利を勝ち取りたい、こう書くとライバルキャラらしい普通の感情であるが、彼の場合は色んな意味で度が過ぎているのだ。
元々色々ぶっ飛んだ作品の中でも更にぶっ飛んでいる彼だが、この要素を最も強く出しているのは映画「遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS(以下DSOD)」だ、というか下手したらもうこの映画の主題が海馬のクソデカ感情への向かい合い方なのかもしれない。
シミュレーションでの再現を試し見る、千年パズルを意☆味☆不☆明の装置で復元する、挙句の果てには恐らく死後の世界と思われる場所に赴く...とまぁやりたい放題だがクソデカ感情と評する他ないのは行動によるものではない。
強さを求めた結果と行き場を失った権三郎への復讐心が遊戯への執着の原因… なのだがどうもいつからか手段と目的が逆転しているように思える。戦いの儀でアテムに勝利し、DSODで海馬を打ち負かし自身も認めた決闘者である表遊戯との再戦ではなく、アテムとの再会を選んだのはどう考えても強さを求める上では間違っているだろう。
「ライバルらしい対抗心」と言えないことはないが、それでは大きな語弊のある狂気を孕んだ感情が海馬瀬人のクソデカ感情であると私は思う。
てかブルーアイズ関連でも目的と手段逆転してるよね、ある意味ブレねえんだな。

2つ目の例は未来ラジオと人工鳩より「薊野椿姫」「葉月伊耶那」に向ける感情だ。
この薊野椿姫はアダルトゲームのヒロインでありながら、女性と性的関係を持っていたことが作中でほのめかされている上に、公式サイトではバイセクシャルとまで表記されてる強烈な人物。
一方葉月伊耶那はこの物語のキーである人災「電波喰い」の元凶であり、主人公月見里ソラにとっては両親の仇、そしてセンターヒロインである葉月かぐやの母親と重要な人物である。しかし物語開始時点で既に亡くなっている。概要だけ抜き取ると遊戯王VRAINSの鴻上聖博士に近いだろう、掘り下げていくとだいぶ違うが。
さてかつて伊耶那博士の右腕だった椿姫だが、劇中においてはソラの協力者といえる人物だ。結果的どころか積極的に伊耶那の残した人工鳩の駆除に加担するが、ソラと違い伊耶那に憎悪を抱いているわけではない。むしろ平たく言えば彼女は伊耶那を愛している、伊耶那に置いていかれ電波喰いの片棒を担いだ犯罪者扱いを受けようとも、伊耶那本人を恨みはしていない、いや多少の恨みはあるかもしれないが少なくともそれは正の感情に押し負ける程度であろう。
その愛の始まりは憧れや尊敬だろう、その上で家族愛や性愛もいつしか抱いていたのだろう、もしかしたら初恋だったのかもしれない。初めて出会った自分より賢い人間に引き取られた椿姫は、普通の人間が色んな人間に抱く感情の大半を伊耶那に持ったと考えられる。そしてその中には超えたいという対抗意識や行き場を失った伊耶那に認められたいという気持ちが含まれているのは言うまでもなく、それが結果ソラへの協力に至ったのだ。

因みに未来ラジオと人工鳩の前日譚として、椿姫と伊耶那の過去についてのスピンオフ小説の月額連載サービスが企画されている。自分の考えが深読みに過ぎなかったとしてもより巨大な感情にぶん殴られても構わない、私は楽しみだ。



このように一言で表せない内容も長文にはすることが出来ると私には思っている。同じようにブログに書き出してもいいし、表に出さないメモ帳に書き綴ってもいい、仲のいいオタク友達にだらだらと説明してもいい、ただ一回これを140文字に収めるのは無理かどうかを試してみよう。そして無理だという確信を得て、ここぞというタイミングでこの「クソデカ感情」というカードを切るのだ、そうすることであなたの放つクソデカ感情はより強い意味のある言葉になるだろうと私は思う。

因みにクソデカ感情について調べていた時に“「他者に向ける特別な気持ちをなんでも『恋愛』に落とし込まれる問題」に対しての巧いアンサー”という意見と“本気で憎み合ってる二人を「クソデカ感情」とか言ってカップリングにするんだよ…”という意見を見かけた。結局恋愛脳や直結脳的な人間はどこにでもいつの時代にも存在する、この場合クソデカ感情脳とでもいうべきか語感が最悪であるが。
残念ながら言葉一つ如きで価値観の相違という人類の長きにわたる衝突の理由を解決なんて出来るわけはない、残酷な答えかもしれないがもしそんなことで人と人の関係に答えが出るなら世界はもっと平和になっているだろうに。
それでも言葉という道具が増えることは個人個人には良き助けとなると私は思うのだ、言葉を知ろう古い言葉も新しい言葉も。

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